浜風商店街をあとにして僕たちは、メルトダウンした福島第一原発(地元の方々は「ふくいち」、「1F」とも呼ぶ)の近くを通る国道6号線を北上する。
ここまで来ると車線を走る車もトラックやマイクロバスが目立ってくる。
福島第一原発の廃炉のための作業員や、除染作業員を運ぶためだろう。
そして福島第一原発に近づくにつれ、「除染中」と書かれたのぼりや、「汚染土」が入った黒い大量の放射線汚染土袋を目にする。
いわゆる「帰宅困難区域」とされているエリア。
念のため、3M社製の放射能物質対応のマスクを着ける。
大量の放射線汚染土をつめた袋が、至る所に置かれている。
この汚染土が配置されている場所は仮置き場、または仮「仮置き場」であり、最終的な処分場はまだ決まっていない。
帰宅困難区域では車から降りることが出来ない。また窓を開けて運転することも出来ない。
放射線の線量が高すぎるからだ。
また国道に面する民家の入り口には、鉄のバリケードが設置されていある。
徹底して、人が立ち入ることが出来ないようにされてある。
「明るい未来」だった筈の原発政策の現実は、僕の目にはあまりにも無情に映った。
帰宅困難区域を抜け、南相馬の小高という町で車を降りる。
ここは「避難指示解除準備区域」という長い名前の区域。
車から降りることは出来るが、まだ生活をすることは許されていない。
小高駅前にある駐輪場に置かれた自転車は、4年前の震災のときまま置かれている。
錆びた自転車のフレームが痛々しかった。
小高では静寂のなか除染作業が進んでいた。
なぜか知らないが、駅前の放射線測定器は止まっていた。
町のなかを動くのは、除染の作業員と車、そして、僕たち。
他には誰もいない。
夕焼け空が、なにも言わずただ僕たちを包み込んでいた。
なんという静かな風景だろう。
これは現実なんだろうか。
震災以降、誰もが思うだろうことを、僕はこころの中で感じていた。
「この現実を忘れないで下さい。」
浜風商店街で見た写真の中の言葉が、強く響いた。