僕の手元にあるCDがある。
友部正人さんの「また見つけたよ」というアルバムだ。
そこにはサインが入っている。
「大地さんへ 友部正人」。
友部正人さんの歌を知るようになったきっかけはどこだったのか、僕は思い出せない。
でも、僕のなかで友部さんの歌と声は生まれた赤子のように、ずっと響いている。
初めて友部正人さんの歌をナマで聴いたのは早稲田にあったあるロック喫茶の出来事。
写真家の奥さんから、「(聞く人が)座ったときと立ったときじゃ聞く人の聞こえ方が違うんだよ」と言われ、「なるほど。」と心のなかでそっと思ったリハーサルのとき。
そして、僕が京都にいたとき円山音楽堂で友部さんが歌いに来られた時(頭脳警察のパンタさんも対バンで出演されていた。)、僕はひとり自分の部屋で友部さんの「遠来」を歌っていた。
そのことを友部さんに云ったら、「それで良かったと思う」と言って下さった。
二つの「遠来」が数年前の東山で歌っていた。
友部さんはそのシンクロを良いことだと言って下さった。
友部さんが「Speak Japanese American」を世に出されたとき、僕は幸いにもそのリリースライブに居合わすことが出来たけれど、決して
「日本のボブ・ディラン」
と形容されるだけにとどまらない詩を友部さんは書きつづけられたと僕は思う。
友部さんの「詩」はけっして「日本のボブ・ディラン」と例えられるほどアメリカンじゃなないし、日本語でしか表現できない「歌」をつくりつづけて来られたと勝手ながら思う。
ピート・シーガーが亡くなったことをついさっき知った。
僕は、「フォーク」について考えている。
歌は歌い継がれるために在る。
「フォーク」はまだ、この時代にあっても、鮮明に生き続けている。
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